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逍遥一寸話

このページは私(逍遥)が日々考えていることや、世の中に対して思うことなどを掲載しています。
★2004.08.30 up date★

NO.13 キャスター/コメンテーター/コメディアン

キャスターやコメンテーターやコメディアンまでが合唱するのはなぜなんでしょうね?個性やオリジナリティが売り物ではないでしょうか?然るに政治・経済・社会・教育・青少年問題になると、これ奇妙なことに声が揃うのはどうしてなんでしょうね?政治面でいずれの国も野党といえば、一般に耳さわりの良い話し、まぁ後出しジャンケン専門で自ずから問題提起せず、結果論であぁでもないこうでもないさえずるのです。青少年問題にいたっては、自らの国家の総理総裁を呼び捨てにし、主義主張が違うからといって全否定・乱闘・審議拒否を繰り返していながら、果たして青少年問題を論ずるに値するとでも思っているのでしょうか??
この世で「ひがみ」「ねたみ」「そねみ」ほど始末の悪いものはありません。
ヨーロッパサッカー名門のリアルマドリードは、世界各国からスター選手を集め、アメリカではヤンキースがこれまたスター選手を集め、いずれもが世界にファンを持ち、強ければ強いほどファンを引き付けていますね。現に、キャスターやコメンテーターやコメディアンなど、サッカーや野球のことを知らないものまでもがウワッウワッと喜び、ヘリコプターまで飛ばしてテレビ中継して俄かにサポーターに変身してしまっていますね。誰一人としてスター選手を集めてばかりでつまらないだとか、これで野球が面白くないとか、これでサッカーが面白くないなどと聞いたことがないのです。
一方日本のプロ野球はどうかといえば、巨人がスター選手ばかり集めて、やれバランスが悪いだとか、つまらないとか、面白くなくなったとか、ほんとおかしいですよね。野球は9人ですよ。いくら集めても巨人だけが15人も16人もで野球をするのではないでしょ。現にネームバリューはあってもレギュラーにはなれない選手もあり、無名であっても大活躍している選手も大勢いるではありませんか!仮にこれら無名の選手が巨人に入ったとしたら、まず活躍できた場所はなかったのではないでしょうか? 映画演劇でも全員が主役にはなれないのですよ。プロ野球だって主役も脇役も必要なのです。全部が戦力を同じにするなどとマジに唱える人もありますが、典型的な敗者の論理で、強者に対する「ひがみ」「ねたみ」の発想なのです。
何よりも心豊かにし、「ひがみ」「ねたみ」「そねみ」のこころを捨てたいものです。


NO.12 プロ野球の合併話[子供たちの夢・青少年への影響]

最近プロ野球の球団が合併との話題に、プロ野球は文化だとか、やれ青少年の夢を砕くとか・・これまた賛成の声を圧倒していますが、果たして?
一般社会からは常識を逸した契約金・年俸をとり、暴虐武人な人を食った態度発言でひんしゅくを買い時には犯罪行為(脱税や道交違反・暴行など)にも手を染める者をも後をたたず。果たしてプロ野球に社会性はあるのでしょうか?
仮に百歩譲って今この合併問題が生じた時点で会社の経営状態と自分たちにも責任の一端があると言うことを、もしほんの少しでも考えていた選手がいたとすれば、かれらが此れもストをちらつかせて声高に叫ぶ選手会で事前に相談すべきではなかったか?この時点では彼らの意識に会社や経営に関して全く意識の無かったことであり、また合併問題が発表された時、選手会から経営上もし選手が協力できる分野があれば無条件協力するとの申し出がなされたりしていれば多少は社会性もあるかな?というところでしょうけれど、全くなし。もともと彼らの社会は弱肉強食の世界であって、給料格差・待遇格差こそが彼らのステータスではないか!不釣合いの金のブレスやネックレス・ブランドのポーチ・高級外車が・・・最近では連合の会長までもが一役買うとか、彼らの社会理念と今回のプロ野球の問題とどう関連付けるのか?ただただ対経営陣に対する理念無き闘争の具にしているのてはないか?一時の社会的話題に便乗しているに過ぎず、果たして国会議員までもが便乗騒ぎまず霧散するでしょうが、まるで政策なしの烏合集団を図らずも露呈する始末。
今、一般社会では会社安定・存続のためにリストラ・給料カット・ボーナスカットをしてでもなんとか経営に協力と言うのは常識のはずですが、これをいかに受け止めているのか。事が起これば如何に事を成功に導くか、成功に導くためにはいかなる方策がを考えるのが勇者であって、現状下で衰退の一途を辿りながらも己が立場のみの保全を図り新しいことに反対を唱え、絶えず事を成せば不成功・失敗を唄上げるのは、これ敗者の常なのです。野球に限らず敗者に限り声が大きいのは此れ如何。
これらの極め台詞が子供たち青少年を持ち出したがりますが、これを持ち出す人に限って平等!平等!と運動会ですら着順を決めなかったり、遠足・催事にも弁当すら持たせてはいけないとかを叫んでいる人が多いのはこれ如何。
あえて申せば、プロの球団が減って夢を無くす子供か、自分の力不足・怪我・仲間との協調性の欠如・引越しなど環境の変化・競争に耐えられず・練習についていけず・希望校に入れず・一時話題にのぼり勘違いで身を持ち崩す・親のエゴのみで子供を過大評価等々で挫折し夢どころか、自信すら喪失してしまった子供たちとどちらが多いか!此れとてもマスメディアやコメディアンの発言がまるで声をそろえているのは、此れ如何がものか単なる騒ぎに便乗しているにすぎないのではないか。


NO.11 言論の自由

おもに報道や教育の場において声だかに叫ばれる言葉なのですが、まず報道による言論の自由とはその報道自体をリベラルな立場の人が原稿をつくりリベラルな思考・社会性をもってその発言記事を報道するということであって、もともと偏った思想社会性をもった人によって作られた記事発言を言論の自由というものではないはずです。それは公共性があるからなのです。偏った思想や社会性の人が公共性のない、サークルや自己或いは所属するグループや団体が自費で発表するなり叫ぶのは自由ではなく勝手だということでいいのではないでしょうか?
ただマスメディアやコメディアンが揃って声高になるのは、右に習っていれば安全だと言う思想でしょう。ことにコメディアンにいたっては、一般視聴者や局や関連する雑誌・新聞等への媚とへつらい以外の何物でもなく、見ていて情けなくなってしまいます。コメディアンやジャーナリストを自称する人こそ、それぞれに違った考えや声があってしかるべきだと思います。ことが起こればいかにも社会派?だと反対!反対!と合唱はこれ如何。 社会派とは、反対!反対!を唱えるのが社会派なのでしょうか?


NO.10 フリーのジャーナリストと報道
フリ−のジャ−ナリストという言葉がつい最近流行り言葉のようにしきりと叫ばれていましたね。自己責任という言葉もね。なんでしょうか?
彼らの行動言動をいかにも正義?であり報道の責任だと。またそれらはいかにも正義感からの行動言動かのような論評、解説を普段凡そ社会や政治と縁もゆかりも無い、また社会とは分離したゾーンで行動している芸能人?(果たして芸があるのかどうか?)までもが便乗してまるでバラエティにしてしまって、事を人を茶化してしまっていることは果たして如何なものか・・・
崇高な意思と責任感によって行動している人も中にはあるとは思いたいのですが、現実は売名・一発屋・トップ屋・スキャンダル狙い・やらせ・買収等の己が利益行動の何物でもないようです。
悲劇を報道することだけがフリーのジャーナリストの責務なのでしょうか?しかもその真偽は定かではないものをね。
先ほどイラクで捕虜になった二人などは、行方不明になったとき友人がカメラに向かって思わず“おいしいことしよった”“こんなチャンスを狙っとったんや”とまさか報道されるとは思っていなかったつぶやきだったのでしよう。仲間が口走ってしまったことです。事実彼らは帰国するや否や講演会・報道写真会(?)とローカルにまでかけづり回っていますよね。勿論利益活動でてすね。旅費・滞在費・食事つきで公演料とギャラを取っての行為なのです。これらを勢いつけて後援し援助しているのは偏った思想政党というのは此れ如何。ただただ政局にせんと利用しているだけではないか?